有り余る承認欲求と自己否定感をぎゅっとしてブワッとするところ。

知らない

 私を知っている人は世の中にどれだけいるのだろうか。

 

自分自身が他人からどう見られているのか、いまいちよく分かっていない。

中学卒業の間際に、小学校から9年間一緒だった友人から『何を考えているのか分からない』と言われたことをとても鮮明に覚えていて、なんとなくこの印象が私のアイデンティティなんだろうな と思い生きてきた。

私自身も自分のイメージがどんな風に外に現れているのか分かっていない。他人にどう見られたいとか、どんな人間でいたいのかという考えすら、無い。

思春期くらいに自分のイメージを無意識にもしくは意識的に固定させていくのが人間なのではないかと思っているのだけど、わたしはそれを怠ったのか失敗したのか、まったく実体のないアイデンティティを形成している。気がする。

 

 2年前くらいに、「もっと自分を大切にしないと人のことも大切にできない」というありふれた説教を年下から受けた。

ありふれている、ライトな自己啓発書に載ってるようなセンテンスだけど、人とあまり深く関わることのないわたしは他人に精神面を追及されることもなかったので、面と向かってそんなことを言われると普通に傷ついてしまった。そして、気付いてしまった。

 誰かを本当に大切に思ったことないんだよな、きっと愛したこともない。『これは愛ダワ!』って錯覚し、それに酔い、依存する。わたしはそういう人間だ。

ではその対象者は自分をどう見ているか?という話になると、憶測でしかないネガティブなお話になるのでやめておくけど、面倒臭い人間なのは確かだと思う。好きだ好きだって言いながら、その人の目を見ず自分の脳内で勝手に暴れているだけ。酷い。

 そんな感じなので誰も私のことを知らない。私が誰かのことを知ろうとしていないからだ。知ろうとも知られようともしていない、努力もせずに喚く。

 

 どうしてこんなことを文章にしているのか、と聞かれると、まさに努力せずに知られたいからである。

ワシはお前らに全く興味がないが、ワシのことは知っとけ、といった按配。こんなエゴまみれのクソ文章を読まされた人々には同情するフリを一応、しておく。

そしてこれも知っておいてくれ、こういう形でしか自分を大切にできない人間がいるんですよ。