有り余る承認欲求と自己否定感をぎゅっとしてブワッとするところ。

意識低すぎる手帳活用術

毎日毎日私は食べることを考えている。食べることしか考えていない。
今日は帰り道にコロッケを食べて虚無。
昨日から食べると決めていたプルダック麺(韓国のクソ辛いインスタント麺)を作り、たっぷりチーズをかけて食べた。うまい。これは虚無ではない。
食べることしか考えていないわりに凝ったことはできない。
ご飯を炊くことすら億劫な人間だ。野菜を食べたい時は人参と大根を丸ごとかじったりしている。
この歳になってそんな食生活を送っているものだからもう肌荒れが凄まじい。

食生活で鬱が治るとかいうのがあるけど、食生活に気を遣えるならそもそも鬱ではないと思う。筋トレで鬱が治るってやつと一緒だ。
食生活で肌荒れが治る、というのは周知のことで「分かってるけどできないんだな〜エヘヘ」という女性が世の中には腐るほどいるが、それでもそういう本はいつまでも売れる。努力しようとする気持ちがあるだけで健康なのだ。努力が大変なことなんて当たり前のことだ。それでも努力しようとする、立派だ。強い。
本当にダメになってる人間は努力しようという気持ちを起こしただけで心が死ぬ。

昔手帳に凝っていた事があり、様々な文具で予定や目標を埋めて行くのが楽しく、意識高い学生っぽい内容が書き込まれた手帳を肌身離さず持っていたのだが、自分で記入した予定や目標が何一つ達成できないため嫌になって放り出した。
それからはダイアリーではなくモレスキンなどの高級ノートにひたすらポエムを書くなどで文具欲を満たしていた。

一年前久しぶりに手帳を買った。
しかし予定や目標を書き込むのではなく、いわゆるライフログに使うためだ。
その日食べたもの、食べたいもの、食べすぎたもの、筋トレの回数、パックをした日、サウナに行った日、サウナでうまく整えなかった日、サウナのあと食べたもの、サウナのあと食べたいもの、サウナのあとで食べすぎたもの、などを記録している。
一年続いたから私にしては大したものだ。
読み返すと6割が食い物のことで3割が「死にたい」とかだけど。
はじめた頃は若干過食気味だったし、食べたものをちゃんと記録するのは大切なことだった。だから間違っていない。わりと前を向いている。大丈夫。
やらないといけないことは手帳に書かずにメモに書く。できたら捨てる。
やりたいことも同じく手帳に書かない。
目標なんてクソだ、目標を持って何かをやり遂げたことなんて人生で一度もない。
その日できたことだけキラキラのピンクのペンで書いたりする。
「今日はゴミ捨てできた」とか「今日はおいしく味わって食べられた」とか。
意識低いライフハック。人から見ればただの停滞でも、私にとってはちゃんと生きているという確認作業である。