有り余る承認欲求と自己否定感をぎゅっとしてブワッとするところ。

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昨夜、今までの人生を冷静に考えて、やっぱり「無」だと思った。
私なりに努力してきたのだろう、足掻いていたからこそしんどかったんだと思うけど、それにしたって何もない意味のない人生だったなと思う。
ずっと前からそう思っていたけど、以前より精神的に余裕がある今考えるとより具体性を帯びてくる。
私は人をあんまり好きになれないし、それを補う社交性もない。
一人でも楽しいことはたくさんあるからそれでいいと開き直ることもできず、結局人間の営みとは他者との関係が主軸になっていることをいつも考えている。

子どもの頃からインターネットが好きなのは、みんなそれぞれが主張し合っていても、顔の見えない知らない人が発する言葉は実際の対人関係と異なって、ただその言葉をコンテンツとして認識していられるからだと思う。
今でもそうなんだけど、コンテンツとして好きだった人が急にリアルな人間としての生活感を出してくるとなんだか胸がぎゅっとなったりする。
嫉妬なのか失望なのかなんだかよく分からないんだけど、とにかくそれくらいに私は人間が苦手であり、しかし人間の作り出す物に依存し夢中になっている。そして残念なことに私も人間だ。なんてめちゃくちゃなんだろう。

でも数年間インターネットにあまり触れず、リアルの対人関係に夢中になっていた時期があった。
夜の仕事をして、仕事帰りに飲み歩いていた時期だ。
女性性を売る接客業で表面上承認欲求を満たされつつも空虚な自分がいて、それを誤魔化すためにバーで客としてきちんと酔い、酔った私のキャラクター性を基準に人と喋ったり男性と関係を持ったりしてなんとか生きていた時だった。
私にとってお酒はアイデンティティを形成する重要な道具だったし、それがないと意味をなさない人生だと思い込んでいた。
自分に絶望していたからそんな風になって、たくさんの人と接してなんだか絶望から抜けた気分でいたけど結局誤魔化していただけだった。

仕事でもプライベートでも女性性を売っていたことを考えると今は随分平和だ。
ただ女性性抜きに一人の人間として認めてもらう方法が分からなくて、あの頃どころかそれ以前よりも人見知りになっている。
私があの頃身に付けたと思っていた社交性は異性に向けた性的アプローチでしかなかった。
だから当時も女性と話すのは変わらず苦手だったし、今でも男性性に対する偏見がめちゃくちゃあるのを感じている。
世間一般の感覚とは随分かけ離れてしまっている。

私はまたインターネットに戻ってきて、誰からも構われないところで一人でモゴモゴ言っている。
きっとこのくらいがちょうどいいんだろうなあ、と思っている。
インターネットもコミュニティができて馴れ合いが過ぎた頃にフェードアウトしてきた。
現実でも、寂しくない程度に周りに人がいて、聞こえるか聞こえないかくらいの声で一人喋っていられたらいいのに、と思うけどそれはただのヤバイ奴だよ。