有り余る承認欲求と自己否定感をぎゅっとしてブワッとするところ。

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弁当作りの手抜き加減に悩んでいる。
そもそも仕事をする中で昼食に悩むことが嫌ということが弁当を持ちたい理由の一つなので、弁当作りに悩むことは本末転倒。
できるだけ手抜きをしたいのだけど、私の中にいる出来もしないのにワーワー言ってくる人が「ちゃんとやれ」ってうるさい。
今日きんぴらごぼうを拵えていて改めて思った、私は料理がとても嫌い。
昼食に悩みたくないのと、お弁当というパッケージを持ちたいという思いだけで試みているので中身にこだわりはないし、そもそもこだわったものを作ったところで料理が下手なので不味い。冷凍から揚げぶち込んでいたほうが10倍幸せになれると思う。
そう、幸せになることが大事なのであって生活に手間ひまかけてるアピールもSNS映えするお弁当写真もいらないし、手を抜きまくって好きなもの食べたいわけ。
昼食に悩むことが嫌、というのは、仕事の合間に昼食を買ったり食べに行ったりすると優柔不断な私は何食べようか、どこに行こうかで悩みいつしかその行動自体が面倒になってしまう。最終的に食べることすら面倒になる。
だから仕事の合間は何も考えず食事ができるようにしたい。そのための弁当作戦。
でもどんなに手抜きをしたところで続く気がしない。絶対続かないと思う。
まあその時はその時だよね。

今日はなんとか起きてなんとかご飯を食べていた感じだった。
無気力が過ぎて全然興味のない動画を流し見して時間をやり過ごしていた。
きんぴらごぼうを作ったのはいいことだったけど、何のために作ってるんだろう、と虚しくなる。
セブンイレブンで買えるのに、きんぴらごぼう。何やってるんだろう。

結婚の話がない段階で、親に付き合っている相手を紹介するという理解不能な行事について考える。
そんなことする人今時いるのだろうかという疑問と、私はそういえば親に紹介できるような人と付き合ったことがないな、というか私という人間を親に紹介したがる人はいないよな、とか考えながら、それに対して何の感情も湧かない自分に対してどうしようもないよね、で済ましてタバコを吸った。
私は人に望まれる人間関係を構築してきたつもりなのに、大人になってそれが悪しきものとされることに全然納得がいっていない。
前の職場を辞める時にもらった寄せ書きの中に「あなたは自分を大切にすることを忘れずにね」と書かれていて、この人はよく見ているな、と思う反面、自分を抉りまくって仕事をすることを是とする空気があったんじゃないかとも思う。どっちなんだよ。
恋愛もそうだ。ノーと言わない女でいたつもりだった。でも違うと言われる。
私は自我を出していないつもりだったのに。違うらしい。
そっか、じゃあどうすれば正解なのか、誰も教えてくれない。
大人は難しすぎる。ノーと言わない私が大事にされる場所を探して生きてきたけど、根本的に間違っているらしい。
表面上は歓迎されるのに、社会に組み込めない。何それ、じゃあどうすればいいの。
誰も教えてくれない。