有り余る承認欲求と自己否定感をぎゅっとしてブワッとするところ。

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よくある『書くことで自己肯定感を高める』という趣旨の書籍紹介記事を今日見て、ちょっとやってみようかなって思ってしまった。今までもう何十回も同じようなものを見ては同じように反応している。
自分の問題点や不安を書き出すことなんて何年も当たり前にやってきているのに、自己肯定感高める系のもの、字面だけで揺さぶられてしまう。私は怪しいセミナーとかにすぐ引っかかるけど一度参加すると覚めるタイプだと思う。
『自己肯定感』なんて単純に言うけど、人によって問題の性質が違うし根本的な解決方法は人それぞれだと思う。
書くことで自分の問題を可視化するというのは大事なことだけど、それをクリアにしたところで「自分に自信を持てるようになりました!」となる人間なんて1割もいないんじゃないかと思ってしまう。知らんけど。

昔、飲みの席で深い話になりがちだったとき、何だか色々聞かれて色々話したりしていたけど、内面的な話をしても困らせるだけだった。
その大人たちは私のよく分からない人間性から若さゆえの悩みがあると判断し、「俺も昔はそうだったけど〜」の文脈で説いてくれようとしていたんだろうけど、私が持っているのは悩みではなくて大量の問題点であったので、どうしてそうなったのかどうすれば良い方向に行くかなんていうことは既に検討し尽くしていた。
「悩みをおじさんに言ってごらん」的な下心ありきの優しさに、有り難く甘えて話すのは良いけど、その内容を最終的に自分で論破するという自己矛盾を店に撒き散らかして終了するので、よく分からない女から始まり意味分からない女でその場が終了する。
私はあの頃、『フワフワしてるように見えて意外に色々考えていて、色んな悩みを抱えているみたいだけどよく分からないから結局不思議ちゃん』枠で一部の大人から性的対象としての合格ラインをもらっていたような気がする。ただしそれは圧倒的若さありきだけど。

今そのキャラでは痛々しい以外のなんでもない、もはやコンプレックスにすらなっていて、更に問題点が増えただけだった。
あの頃とても嫌悪していた自分の女性性が、すべて若さありきの痛い人格で成り立っていたんだと思うとめちゃくちゃ恐ろしくなる。
自分の若さに無意識に甘えて生きてきた結果、ただの痛い人間でしかなくなっていたことは私の人生においてトドメだった。
でもこの件に関してはこれまでみたいに解決を検討する心の余裕はなくて、皮肉にも今ならあの頃の大人たちの欲求に少しは添えるかもしれない。でもそんなこと言っていい年齢ではないらしいので駄目なんだと思うけど。
自己言及はもう疲れた。やればやるほど自分を否定しなきゃいけない。
自己肯定感なんてもうどうでも良いから、ずっとぬいぐるみと遊んでいつの間にか消えてなくなりたい。そう思っているのに、「自己肯定感高めていこうぜ!」の声にいまだに反応するのは、まだ私は弱いってことだね。