有り余る承認欲求と自己否定感をぎゅっとしてブワッとするところ。

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人間の「私はこういう物の見方ができるんだぞ」という押しつけにとてつもなく苛々する出来事があって、何故こんなに過剰に反応してしまうのかを考えたい。

人間が自分の興味外のものに触れたときの話、特に惹かれる要素がないのでとりあえず何か自分が分かる突っ込みどころを言っておこうという感じ、物をよく知っているアピール、単純に自分の知るものとの違いへの反発、斜に構えた感じが格好良いと思っている、上に立ちたい、全部理解できる。
残念ながら共感すらする、つまり同族嫌悪。

それに対して私は苛々しながらも独自の解釈を返す。
相手が言ったのと同じ精神構造で私は返すので、当然相手は苛々する。
話を遮られる。ストレス。ストレス。ストレス。

私は人に上に立たれたくないのかな、そんなはずはない。
これは感性の違いではなく、感性が同じで視点が違うということが問題のような気がする。
私はどうすれば良かったのかと言うと、軽く流せば良かったんだ、もしくはすごいね〜とか言っておけば良かった。
人間同士の衝突の構造が少しわかった。
無意味だ。こんなことに苛々して夜中に干し芋を食べている私は一体なんのために生きてるんだろう。
人と喋ることなんて自我のぶつけ合いでしかない。本当に無意味。
意味がない。私の存在に意味はないのと同じように相手の存在にも意味がない。
人が繋がるのは会話によるものではない、会話はただのツールだと思う。
会話が生み出す虚構の絆。それって意味あるの?
意味がない。全部意味がなくて無駄。だから人の命も本当は無駄なんだと思う。
そんなことを人に話すのはやめよう。人に自我を当てるのはやめよう。
そうしたら自我をあててくる人に腹立たしい思いを抱かずに済む。
全部同族嫌悪だからね。同族だよ、仕方ないことが一番ムカつく。
眠すぎてよく分からないけど。