有り余る承認欲求と自己否定感をぎゅっとしてブワッとするところ。

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無知が過ぎるというか偏見が過ぎる大人たちの会話を聞いて頭が痛くなる。
そして私自身が持っている無知さと偏見について反省するけど、そうやって見えない他人を慮る日々に正解をもらえる日が来るのかどうか、私には分からない。
分からずに気づかずに生きることが幸せなのではないかと思わずにいられない。
対人関係において神経質な人間が損をする場面をたくさん見てきた。どちら側も経験している私はこれからどうすればいいのだろうか。
無神経さでたくさんの人を傷つけてきて、神経質に過ごす今は過去のしっぺ返しが来ているのであれば、きっとこれからずっと贖罪の人生だ。それでいいのか、分からない。
なんだかもうどうやって生きることが正解なのかは誰にも分からないんだろうな、私に正解を指し示してくれる人はずっといないんだろうと思って絶望する。

私は一人ではどこにも行けない。
誰かに引っ張ってもらって新しいところへ行くことができる。
でも、残念なことに私はどうしようもなく敏感になりすぎてしまっていて、もう新しい人間関係を構築することができないのかもしれない。
そう思うとすごく悲しい。
私には自ら選んで行きたいところがないから、このままずっと同じ景色を眺めて生きていくことになるのだろう。
心が広くあれば、余裕があれば、自尊心を守っていけば、できたかもしれないことがたくさんある。全て私自身の問題だった。

私は無知で能無しのくせして、自らの偏見に気づかない人たちに絶望している。
他人にひとしきり絶望したあとで自分に絶望する。
私が持つ考えなんてこれっぽっちも人のためにはならないし、結局私は思考を巡らすことで人を見下す術を得ただけだった。意味がない。
知らずに同調できた方がその場は平和で楽だったはずだ。

絶望する大人は周りにたくさんいる、そして私はその人たちがいないと駄目だ。
私の視点は何の意味も持たない。