有り余る承認欲求と自己否定感をぎゅっとしてブワッとするところ。

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ちょっといいかもしれない、という感覚をネガティブな可能性で打ち消す癖がある。
良いことの裏には必ず悪いことがある。
上手くできたけど変わりに犠牲にしたもの、自分は楽しいけど誰かは楽しくないこと、などなどを考えて考えて自分の喜びを無にしてしまう。
それもこれも人の気持ちを考えよう委員会の皆さんの言うことを全面的に信頼していたせい。
自分の気持ちを尊重することを忘れてしまった。
自分のこともっと大事にした方が良いよ、と人に言われてきたけど、どうやって大事にしたらいいのかは誰も教えてくれなかった。
「自分のことを大事にした上で、人の気持ちを考えよう」アーアーアー、分からない。
さっきほうれん草を茹でたら気分が良かったけど本を読む時間が減った。

趣味は何かと聞かれたらどうしようと、ほうれん草を茹でながら考えていた。
趣味、ないんだよな。趣味ないです、は駄目だよなあ。
色々捻り出しても気持ち悪い答えしか浮かばなくて、考えることをやめた。
誰か私の趣味を教えて欲しい。

教えて欲しい、とばかり思う。
自分で思考する能力がない上に、コミュニティにおける正解に沿った振る舞いだけが救いの悲しい人生。
そもそも私に自分で考える時間を与えてしまったら、なんだかヘンテコな自我をゴリゴリ出してくるから本当に迷惑だ。そんな隙を与えずに誰か正解を叩き込んで欲しい。

ずっと正解が嫌いだった。
大人になると正解を求められるけど、それは自分で見つけなければいけない。
そういうことに対して反発できるくらいの自尊心があれば、ロックに生きることができたのかな。
結局自尊心が必要だった。自分のことを大事にした上で、人の気持ちを考えようね。
それができたら正解が見えるようになるのだろうか。