コーヒーを落としながら
秋が好き。
忙しく求愛を叫ぶ蝉の声も、元気を強要されるかのような日の暑さも、夏に活動的な子どもたちとウェイの喧騒もなくなって、わたしはやっと空気をゆっくり吸う余裕ができます。
そして自分の情緒に浸って、ゆっくりコーヒーを飲んだり 自転車に乗ったり 夜中にシャボン玉を吹いたりするのです。 つまるところ感傷的になるのが好き。
それは歳を重ねるにつれて現実的な重みを伴います 思い出に浸り、誰かを思い出す、情緒が現実的になります
そして今年思うことは、情緒に浸る時間を失ってしまうほどに、精神が仕事に削られてるってこと。
感性でお金を貰えるのは一部の人間だけで、凡庸な人間はみなシステマチックに動き続けて心の一部を閉ざさなければいけない。
わたしの感覚で言えばそういう感じ。
その代わり社会的なあれこれで自我を満たすんだと思います。あと、大人の趣味とか。わかんないけど。
きちんと昼に働き出した今、精神を大人に向かわせることを怠ってきたというか、避けてきたわたしは、今とても困っているわけです。
子どもの頃の感性が失われていくことに恐れ続けてたぶん10年くらい経ってるけど、今になってそれが弊害になってつらみがすごい。
恐れ続け拒み続けるスタンスが許されてた去年までの生活のほうがまだ幸せだったよな、と感じるのです。
ああ、社会に出るってこういうことなんだな
本当に良いことないし、みんなよくこんな辛いことに耐えて生きてるよな。
生きてるみんなすげえ。
コーヒーとタバコおいしいぬいぐるみが友達イエーイ食パンお菓子
この26歳のわたしは一体なんなんだよ